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第4回 炊き出し 登米市津山若者総合体育館 2011年8月22日〜24日

2011年8月22日(月)午後10時
料理長のいる『自由が丘 間(あわい)』に集合。

今回のメンバーは、リーダー、事務局、そしてアメリカから就職直前の大学生が急きょ帰国し参加。
料理長は、お店の営業(午前1時ラストオーダー)が終わった翌朝一番の新幹線で合流だ。
料理長が調達してくれた炊き出し用食材と、直前の日曜日に買出しに行った支援物資を積み込み、いざ東京を出発。
お店の常連さんたちが温かく送り出してくださって、大感激。 気を引き締め直して・・・東北道を一路、登米市津山町の仮設住宅を目指す。
午前5時半、南三陸町志津川地区に到着。

早朝の海岸沿いには私たち以外誰の姿も見えない・・8月中旬なのに、洋服にまとわりつくような、体温を奪う雨。
海に沈む公道。

妙に立派な門構えと、家の基礎をなすコンクリート部分だけが、かつて「そこに家があった」ことを教えてくれる。

2011年6月の第1回炊き出しの頃よりも、若干瓦礫が整理された印象。

津山町横山の仮設住宅に立ち寄る。

仮設住宅の掲示板には、仮設住宅の部屋番号と一緒に
支援物資配布会と合同就職説明会のお知らせ、
復興市の案内、
スーパーのシャトルバスの時刻表などが張り出されてある。
23(火)午前8時。津山若者総合体育館到着。準備開始。
体育館に併設されている津山林業センターのご厚意で、テントとテーブルなどを貸して頂く。
例年この時期は、多くの家庭の食卓に秋刀魚が並ぶ頃。
特に宮城県北の方たちにとって、秋刀魚は思い入れの深い魚。
しかし、2011年は秋刀魚の水揚げも危ぶまれ、且つ仮設住宅の狭い台所で秋刀魚を焼いたらどうなるか……
なんとしても秋刀魚を食べて頂きたい!料理長のたっての願いで北海道の秋刀魚200尾を用意。
偶然この炊き出しの翌日、気仙沼での秋刀魚初水揚げのニュースが新聞紙面を飾っていた。
これまでの炊き出しは避難所の方たち向けで、食事の時間は決まったいた。
何度かお世話になった津山の避難所は直前に解散、閉鎖され、今回は仮設住宅で暮す方たちが対象だ。
勝手がわからない。不安がよぎる…杞憂に終わった。
炭火のにおいで、人が出てきてくれた!
子供たちの魚の食べ方に驚かされる!上手い!!

炭で焼く秋刀魚は……火力の調節が難しい。
ひたすら、焼く、焼く、焼く……  

あっという間に昼食の部、終了。
休憩をはさんで夕食の炊き出し準備開始。午後から登米市在住Uちゃんも参加。ウメヨさんも手伝ってくれる。心強い。
夕食のメニューは
秋刀魚炭火焼き
あら汁
そして、天麩羅の盛り合わせ

料理長の両親も気仙沼の仮設住宅で暮しているため、仮設住宅の狭い台所であげる天麩羅がどれだけ大変かを知っている。後始末も大変だ。震災前には普通にとっていた食事をご提供したいし、驚いてももらいたい。
そこで、自由が丘 間(あわい)でも夏の人気メニューの一つ、トウモロコシの天麩羅を炊き出しメニューに追加。


午前中に引き続き、秋刀魚の炭火焼きも準備。
夕食の準備ができたときには、もう辺りも暗くなってきている。しかし、屋外用ライトの準備など出来ていない……。急遽、車のヘッドライトで代用。経験しながら、私たちチームワンネスも成長させてもらっている。

予定数量の出し終え、本日の炊き出し終了。

片付けと明日の準備をし、Uちゃんのお宅に移動。 Uちゃんのお父さん、お母さん、初めてお目にかかるのに、お世話になります。福田寺に泊めて頂く。
福田寺に宿泊。

翌24日は、仮設住宅へ料理長自慢の手料理をデリバリー。
津山若者総合体育館で、仕込み開始。
メニューはあら汁、秋刀魚のみぞれ煮、エビのチリソース。

 

2日間お世話になった津山若者総合体育館に併設されている津山町林業総合センターの前で記念撮影。
この写真を撮ってくださった乾さん、なんと料理長の高校の同級生、こうちゃんのおばさんでした。
世界は狭い!

まずは西戸の仮設住宅にお邪魔し、津山の避難所でお世話になった懐かしい皆さんと再会。料理のデリバリーを喜んで頂いた。仮設住宅からお鍋を持ってきてもらい、そこに料理を移していく。
続いて、被害が甚大だった志津川を抜けて戸倉中学仮設住宅の佐藤さんを訪ねる。
 

戸倉中学校の仮設住宅で佐藤さんを囲んで記念撮影。

この後、料理長の親戚が暮らす、平成の森仮設住宅に移動し、今回の日程はすべて終了。

途中の木立は、塩害で立ち枯れが始まっている。根元に近い葉の部分は茶色く変色し、もう長くないことを物語っていた。

線路のない橋脚。今後の復興はどのように進んでいくのか。
ご縁のあったこの南三陸町。微力ながらも応援し続けていく決意を新たにし、東京を目指す。
 
 

 

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